おんなのはきだめ

ダメなおんな、ダメなりにも生きるんだよ。Twitter @chainomanai

君の磁力はどれくらい

初めて水商売に足をふみいれたのは、19歳と10ヶ月の時だった。

 

地方の高校を卒業し、東京で一人暮らしを始めた私にとって、東京の夜の街はキラキラと輝いていた。

お金に苦労していたわけではない。この夜の街の一部になってみたい。それは一種のミーハー心だった。

 

その店は、ガールズバーとキャバクラが半々の店だった。カウンターの中でお酒を作り、接客をするガールズバースタイルの部分と、卓が用意され隣に座って接客するキャバクラスタイルの両方があった。

 

「未成年ねえ。トラブルが起こると面倒だから、うちでは雇えないよ。」

 

背の高い、ぽっちゃりした普通のおじさんという風貌の店長は私の年齢を聞くと、眉を少しひそめそう言うと、ふうっと細長い煙を吐いた。

 

「でもまあ、こんな履歴書なんてご丁寧に面接に持ってきた子なんて初めてだし、真面目そうだから、いいか。」

 

履歴書の私の写真はスピード写真で撮ったものとはいえ、やけに神妙な面持ちで写っていて、ボトルが沢山並んだカウンターの上に置かれると、やたらと場違いに見えた。

 

「酒は飲まないでね。面倒だから。あと、」

 

灰皿に無造作に煙草を押し付けると彼は言った。

 

「最低でも半年はやってみな。面白いと思うよ。」

 

そうして私は無事「飲み屋のネエちゃん」になった。

 

店には20名ほどの女の子が所属しており、年齢は23~28歳ほど。彼女たちが普段何をしていて、どんな子たちだったのか、私はほとんど知らない。

 

そう、私は他の子とはほとんど仲良くならなかったのだ。

 

店の女の子の関係は殺伐としていた。2、3のグループができていることは初日で気づいた。仲が良くない女の子たちもいた。特にどこかに加わりたいとも思わず、会話は最小限にとどめ、のらりくらりと一匹狼を貫いた。

 

キャバクラがチーム営業だとすると、ガールズバーフリーランス営業だ。店長も私の意志を感じたのか、カウンターで1人で接客させることしかさせなかった。ますます私はやりやすくなり、1人で来店する人担当となり、フリーランス営業の道を全うすることができた。

 

(その経験が裏目に出たのか、のちに私は初対面の人と1対1で飲むのは非常にうまくこなせるのだが大勢の人と飲むということがいたく苦手になったのだが。)

 

 

忘れられない客がいる。

 

 

タカさんという男性だった。

新人です、と紹介されると、タカさんはじっと私の目を見つめ聞いた。

 

「なんでこんなところで働こうと思ったの?」

 

返答に困った私はとっさに答えた。

 

「なんでこんなところで飲んでるんですか?」

 

タカさんは私の目から目をそらさなかった。そしてふふふ、と笑うと店長に言った。

 

「おかしな子を入れたもんだねえ。」

 

 

それが彼との出会いだった。

 

 

タカさんは常連で、週に1回くらいのペースでやってきた。1人で来る時もあれば、仲間と来る時もしばしばあった。50代後半で不動産関係の会社を営んでいると言っていた。

 

静かにゆっくり飲む人だった。はじめはシャンパンを1杯。そしてウイスキーのロックを2杯飲むと、どんなに場が盛り上がっても必ずそこで帰るのだった。

 

「俺は酒はこんくらいでいいんだよ。これ以上飲んでも、あとは一緒だからね。」

 

 

グレーのヒゲと髪がよく似合う人だった。長髪を後ろで縛っており、格好はいつもこざっぱりとしたジャケットとパンツだった。今思うと、なかなか渋めの、いい男だった。

 

 

スツールに座るなり胸元のポケットからラッキーストライクを取り出し火をつける。彼が最初の煙を吐き出すころには、私はいつものシャンパンを出し終えている。そう、私たちはいつの間にか、仲の良い客と店員になっていた。

 

 

私より2、3歳上の娘がいるんだ。とタカさんは言った。ちょうど17歳になる頃に離婚したから、それから全然会えていないんだ。なかなか綺麗な子なんだよ、親バカだけどね。と嬉しそうに言った。なんだか、娘と飲んでるような気がするなあ、とも言った。一緒に飲めばいいじゃないですか、私も実家に帰ると父親と飲みますよ、という言葉には、できないんだよねえ。俺、ビビリだからさあ。と冗談ぽく笑った。

 

 

店長から聞くところによると、タカさんはこの街ではまあま有名で、いろんな行きつけの店を持っているようだ。

「相当飲み歩いてるよ、あの人。1日にひとりで数軒ハシゴしてるんじゃないかな。一応常連だけどうちには全然金落としてくれないくせにねえ。」

やれやれ、というように店長はこぼした。

 

 

私のその店での源氏名は「ユカ」だった。誰が決めたかは覚えていないが、ある日突然、名前を与えられ、そこで私は「ユカ」として生きる。1ヶ月も経つと「ユカちゃん」と呼ばれると「はい!」と自然と反応できるようになる。なんだかおかしかくて、なんだか心地よい世界だった。

 

 

ある日タカさんが言った。

「なあユカちゃん。寂しさって、磁力なんだよ。」

 

なにを言っているかわからず、私は「というと?」と間の抜けた返事をした。

 

「この店にいる連中を見てごらんよ。みんなどこか寂しいんだ。そんで、寂しさの磁力が同じくらいの人と出会うと、すっとくっついて打ち解けられる。でも人生そう簡単には同じ数値の人とは合わないね。それは男も女も関係ない。本当に同じ数値の人と会えたら幸せだよ。みんな気づいてないけど、その磁力に振り回されて生きてんだよなあ。」

 

満員の店内は活気があふれていた。わっと笑い声が沸き起こる卓、アットホームな空気が流れる常連の団体の卓、新規でやってきた若いサラリーマン集団は女の子たちと早く打ち解けようとしきりに話題を振っている。カウンターにくる1人の客たちはほぼ常連で、いつもの女の子とまったり飲んでいる。

 

 

はたから見ると、みんな楽しそうに飲んでいるようにしか見えなかった。

 

「S極とN極じゃなくて、数値って、哲学的ですね。」

バカみたいな返答しかできない私に、タカさんがごめんごめん、と謝る。

 

「やだね、変なこと言って。俺も歳とったな。」

 

「んじゃ、タカさんと私は同じくらいの数値ってことでいいんですか?」

すかさず私が言うと、

 

「ばか、ぜんぜん違うよ」とカラカラと笑った。

 

 

そしてグラスの氷を指でゆっくりと回しながら言ったのだった。

 

 

 

「ユカちゃん、ここに染まるなよ。」

 

 

 

 

そうこうしているうちに半年が過ぎた。

 

 

 

梅雨の季節は、客足が遠のく。

その日はやけに暇で、窓から雨の街を見下ろしていた。上から眺めるこの街は、美しさと醜さが混じっている。

 

あちこちの店のネオン。道に並ぶ飲み屋の看板と、客引きの男性たち。その間を縫うように、色とりどりの傘が行き交う。信号が青になると、どこかに向かおうとしている人々が一斉に、四方八方から足早に道に飛び出していく。

 

黒いキャンバスに、様々な絵の具が混じり合う。それは、欲望が交差していく光景に見えた。

 

私はぼんやりとその様子を眺めると窓を閉めた。固まって座っている女の子たちがおしゃべりに興じている。私はケータイを眺めるのも飽き、読みかけの本を開いた。

 

タカさんが来ればいいのに。

 

お互いに連絡先は知らない。連絡を取ろうと言われたらあまりいい気もしない。ましてや彼は私の本名すら知らず、私も彼の知っている個人情報はほんの少しだった。

 

私たちはこの空間では仲良く酒を飲む。しかし一歩扉の外に出ると、お互いのことを何も知らない赤の他人だ。きっとここで会わなければ、人生で関わることなどなかった存在だ。

 

 

タカさんはその日は姿を現さなかった。次の週も、その次の週も、彼は店に来なかった。

 

 

そして、私の最後の勤務日が訪れた。

 

最後の日に、店長と店を閉めた後に飲んだ。店長は最後まで、もっといてくれたらいいのに、と嬉しいことを言ってくれた。

 

8ヶ月。あっと言う間で、そう大して思い出もなかったです、と正直に私が言うと、店長はおいおい、と言いながらも嬉しそうだった。

 

タカさん来なくなっちゃいましたねえ。と私がぽつりというと、ああ、と店長が言った。

 

毎年この時期は来なくなるんだよ。娘さんいるって聞いた?

 

はい、なんか、私の2、3個上くらいの。

 

いや、それは死んだ歳だね。

 

 

 

 

高校を卒業した彼女は、アルバイトを転々とし、夜の道に進んだ。なかなか綺麗な子だったから、人気になったのだろう。収入をそこそこもらい、20歳にして、普通のOLの何倍もの月収を手に入れた。実家を出て一人暮らしを始めると、お金の使い方がおかしくなったようだ。

 

彼女は典型的なキャバ嬢になった。家にはブランド物があふれ、夜な夜なホストクラブに通うようになっていた。

 

 

ある日、彼女はこの世からいなくなった。多額の借金を残して。

 

 

タカさんが全てを知ったのは、葬儀が全部終わった後だったという。彼の中の娘は、17歳で止まっていた。夜の道に進んだことさえ、知らなかったのだ。

 

 

それから彼は、彼女が働いていたこの街の近くに一人で引っ越してきた。そして、彼女が働き、そして死んでいったこの街で、飲み歩いているのだという。

 

 

彼女が命を絶った時期だけ、なぜかタカさんはこの街から姿を消してしまうそうだ。

 

 

「何年か前に、べろべろに酔って店にきた時があってね。珍しいじゃない。スマートに飲む人だから。閉店間際だったけど入れたら、全然帰らなくて。しょうがないから少し飲むのに付き合ってたら、言われたんだよ。まあ、どこまで本当かなんて、だーれもわからんけどね。」

 

 

「ドラマじゃないんだから。」

私がハイボールを飲みながら言うと、ユカちゃんは相変わらずだなーと店長は言った。

 

 

「いろいろあんだよ、この街は。いろいろあんだよ、ここの人は。嘘かもしれない。脚色かもしれない。それは正直俺にはわからん。でもな、俺とかお前こそは、全部信じてやらないとダメなんだよ。俺たちは、そういう職業だから。」

 

ま、今日でお前は辞めるけど。と最後に付け加えることを、彼は忘れなかった。

 

 

 

 

外に出ると、夜中の1時を超えていた。この街は、まだまだ騒がしい。

 

 

 

タカさんはなにを思って、飲み歩いているのだろうか。

 

 

どこかに彼女の姿を探しているのか。

彼女が生きた世界を知りたいのか。

彼女が死ぬ原因を作った街で、世界で、彼は一体なにを追い求めているのか。

 

 

 

 

あれから何年も経った。

あの時キラキラして見えた街は、もう私には輝かない。

 

 

六本木の交差点に立つと私は思う。

 

 

 

タカさん、磁力が同じ人に、出会えましたか。